映画『この世界の片隅に』を観た
まず「この世界の片隅に」を観ていない方に断っておくと、
この映画は、ジェットコースタームービーではない。
いわゆる、フリがしっかり効いていて、最後に大きなオチがあるとか、
伏線を張り巡らせて、最後に一気に回収するような展開はない。
(子どもの頃に出会った人物が、物語のクライマックスに出てくるといった
出来事はあるが、それはこの物語の軸になるものではないだろう。)
主人公すずは、おっとりとしていて天然で、どこか憎めない性格。
絵を描くのが上手なことを除いては、どこにでもいる普通の少女。
その子の小学生時代から呉市の北條家に嫁ぐまで、物語はテンポよく進む。
すずの声を務める「のん」さんは、前評判通りすごかった。
広島の方言には詳しくないが、まったく違和感がないどころか、
ふつう、名の知れた俳優さんや女優さんが声優をやると、
どこかしらで、その俳優の顔がオーバーラップするものだが、
「のん」さんの場合はまったくそれがなかった。
完全に「すず」になっていた。
ストーリーに話を戻すと、
19歳になったすずは、
なんの考えもなしになんとなくお見合いをし、
なんとなく嫁ぐことになった。
北條家にお嫁に行き、最初は戸惑いもあった彼女だったが、
旦那周作を始めとする北條家の愛情に包まれ、
呉に居場所を見つける。
徐々に呉の生活に慣れ、周作を心から愛し始めたころに、
徐々に戦争という異質なものが日常を脅かし始める。
この、戦争が日常にグラデーションで入り込んでくる様が本当にリアルで、
戦争というとんでもない出来事ですら、
こんな音もなく日常を侵していくものなんだという発見があって
とても怖くなった。
まるでそれは進行性の癌が身体を蝕むかのように。
造船の街、呉は日本の戦況が日に日に悪化するとともに、
空襲も多くなっていく。
それでも、絶望ばかりではない。
空襲ばかりの毎日で防空壕に隠れる晴美(すずの義理の姪)は、
「空襲飽きたー」と一言。このセリフはとても印象的だった。
そうだよね、どんなに追いつめられてても、こういうこと言うよねと
素直に感情移入できた。
また、
棚田から呉港に浮かぶ戦艦をすずが描いていると憲兵に見つかり
尋問をされる。「軍の機密情報だー!」と怒鳴りちらす憲兵を前に、
北條の家族たちは、すずに何ができるん!と必死で笑いをこらえている。
そんなシーンにおいても、やっぱりバカらしいとどこかで憲兵をばかにしている
リアルがあった。
そして、
すずの矛盾に満ちた感情も魅力的だった。
ぼんやりしていて、裏表のない性格かと思いつつ、
実は大きな嘘を抱えていて、それに葛藤する。
ただのいい子としては描かれていない。(詳細は控えるが)
人間の捉え方とでもいうのだろうか。
こんなにも丁寧に、でも自然で、あたたかさも、黒さもしっかり捉えた
人間描写に、ただただ感服させられた。
「この世界の片隅に」で描かれたことは、
どの世界にも通じる、普遍の人間描写だと思う。
ああ、なんてあたたかい映画を観たんだろう。
やるかやらないか、それだけだ。
友達が、同僚が、飲みに出かける花金に、
ひとりの時間をつくり、考え、書くかどうか。
友達が、同僚が、恋人と映画を、そして外食を楽しむ土曜日に、
ファミレスにこもり、アイデアを練られるか。
友達が、同僚が、日曜日の夜にテレビを観ながら月曜日に備えている間に、
書きかけの小説の続きを少しでも進めることができるか。
友達が、同僚が、平日の帰宅後に晩酌を楽しんでいるときに、
少しでも英単語を覚えられるか、今日あったことを振り返って、
日記やブログに書き留めておけるかどうか。
やるかやらないか、それだけだ。
やらなくても、誰も文句は言わない。
誰もぼくを責めたりはしない。
怒りもしない。
でも、時間だけは無情に過ぎていく。
ある芸人さんが言っていたっけ、
行動に移す人と、行動に移さない人の間には、
大きな川が流れているって。
猫の見ている世界
猫はかわいそうだと思った。
実家の猫はいつも寝てばっかりで、ほとんど家からでない。
そんな猫を見ていて、ふと、かわいそうになった。
こいつは日本はもちろん大都会東京も見ることなく、
田舎の半径1キロ未満の小さな世界しか知らないで死んで行くんだ。
そんなことを、昔付き合っていた彼女に話すと、
彼女は遮るかのように語り出した。
「キミんちの猫ちゃんは、全部知ってるんだって。
東京のことも日本のことも、そして世界中のことも。
ぜんぶ知った上で、ずっーと寝ているの。
ひなたぼっこしたり、こたつでまるまったり。
人間って、なんて欲張りで、強情で、
どこへ行ったって人間関係がわずらわしくて、
いやになっちゃうなんて思いながら。
そんな世界なら
ずっとごろごろしていた方がましだって悟ってるんだよ」と。
ぼくは、その通りだとおもって、なにも言えなかった。
糸が聴こえてくる朝
魂が歓ぶ方へ
今年の夏はよく遊んだ。
大好きなFUJIROCKに行った。
カープの試合もたくさん観にいった。優勝の瞬間も目撃できた。
初めてシーバス釣りにも行った。
本当に楽しいイベントをここぞとばかりに体験し、大満足の夏だった。
フェスで音楽を浴びているとき。
カープの試合でホームランを打って、ピンチを抑えて歓喜したとき。
本当に幸せな瞬間はたくさんあったのだけれど、
これらのワクワク以上に、自分にはワクワクすることがあるんだと
認識させられた夏だった。
そのワクワクとは自主的な創作活動をしているときのことだ。
手弁当ながら一昨年、カープ女子を揶揄した鯉女子のZINEをつくった。
そのZINEをPRするための映像もつくった。
その制作過程で、例えば、撮影のとき、アイデアをブレストしているとき、
何にも代えがたい歓びを感じていたのだ。
「あー、おれって幸せ者だ」って大袈裟でなく心が叫んでいて、
誰に歓ばれるかわからないものを作っているんだけど、
とにかく自分が歓んでいるのだ。楽しくて楽しくてどうしようもないのだ。
カープの優勝を目撃しようが、レディへの演奏を生で聴こうが
ものづくりをしているときのワクワク感を上回ることがなかった。
与えられた感動では、つくる感動を超えられない。
そのことに気づけた2016年の夏。
この魂が揺さぶられるワクワク感を人生の中でいかに増やしていくか、
そして、それをどう仕事に結びつけるかが、
30代前半のテーマになりそうだ。
僕の記憶力は悪いのだろうか。
お笑い芸人のエピソードトークなんかを聞いていると
感心することがある。それは、フリを作って伏線をはって、
そしてオチへともっていく話術はもちろんだけれど、
それ以上にここで感心事にあげているのは、芸人さんの「記憶力」である。
エピソードトークは基本的に過去の事実にもとづいて話されている。
芸人さんが実際に体験したことだ。
大好きだったのだけれど、そこで繰り広げられる二人の
小学校や中学校時代の話は、聞いているだけで、
登場する同級生の顔や町並みが浮かんでくる。
よくもまあそんなに当時のエピソードを覚えているなあと尊敬すると
同時に、いかに自分は、昔の記憶力がないんだと自分にがっかりする。
幼稚園の頃の初恋のことを、小学校の遠足のことを、
中学での部活動でのことを、もっともっと鮮やかに覚えていたら
どんなに楽しいんだろうと思うのだ。
さらに、クリエイティブの仕事はどこか過去の記憶を引っ張りだして
きてアイデアを導きだす部分が往々にしてあるので、
ないものねだりなのだけど、今、ほしいものを聞かれたら「記憶力」が
ほしいと答えるだろう。
ただ、昔のことをあんまり覚えていないのには自分にも原因がある気が
していて、それは、定期的に、しっかりと思い出す時間をつくってない
からなのだと思う。「放送室」の話に戻ると、MCの二人はエピソードを
披露するために、きっと思い出す作業もしているはずなのだ。そして、
様々な番組やインタビューでそのエピソードを披露しているうちに、
その記憶が鮮やかに蘇り、確かに自分の記憶に定着されるのだろう。
時には昔を振り返る。これも大事なことなのかもしれない。
そういえばどこかで、昔話をすると脳が老けないみたいなことを言って
いたなあ。
鯉専門誌「CoiCoi」のプロモーションビデオを作りました
オンラインの世界でもより広めるべくプロモーションビデオを作りました。
鯉の妖精が人間に扮して、東京を旅する夏の一日の物語です。
「写ルンです」で女子は喜ばない。
一昨年くらいからのマイブームが、「写ルンです」で写真を撮ることだ。
日常の風景やちょっと違和感のある物や人を捉えたり、
飲み会での記念撮影に使ったりする。
重くて持って行くのが面倒臭かった。
設定もわずらわしいし、かといってオート設定だとつまらないしで、
帯に短し襷に長し状態。
そんな中出会ったのが「写ルンです」。
気軽にとれる、持ち運びに便利がうれしい。
しかも、今は写真屋にもっていけばデータ化もしてくれるので
管理も楽だし、インスタグラムにもアップできる。
iPhoneでもいいじゃないかという声も聞こえてきそうだが、
高解像度でばっちりピントが合ってしまう写真とは、
また違った「味」が出るのが嬉しいのだ。
記録したというより作品を残したという気持ちが強くなる。
そして、合コンではウケがいいのも、なによりの嬉しいポイント!
女子たちからは「あーなつかしい」とか「かわいい」とか
「撮って撮って」と人気殺到。
一瞬、自分が人気者になったのではないかと錯覚するほどの熱狂ぶり。
仕舞いには勝手に女子二人などでパシャパシャと自撮りをしだす始末。
そんな盛り上がりを見せた合コンでの「写ルンです」撮影会。
LINEもグループ化され、後日、気を利かせてデータ化した写真を
みんなに送るわけだけど、
あれ?女子たちの反応がいまいち。
もうこんな男たちとは会うことがないから冷めているというのも
もちろんあるだろう。
だがしかし、女子という生物は思い出が大好物ではないのか。
もっといえば思い出をカタチに残すことが大好物なはずだ。
それなのに反応がいまいち…。
なぜか?いろいろ考えた結果の自分なりの結論。
「写ルンです」では、盛れない!
そう、ノリで自撮りをした女子たちだが、
フラッシュの反射がキツすぎて、
たいしてかわいく撮れていないという事実。
素の自分が出てしまっている。
iPhoneやカメラアプリで、目を大きくし、肌を白く、シワもない状態の
150パーセントの自分を引き出すことに慣れてしまった女子たちにとって、
「写ルンです」というカメラはただの敵にすぎなかった。
「写ルンです」を前にしてしまったら最後、
研究しつくしたかわいく見える斜め45度(右側)の角度も、
虫歯ポーズもチャラにされてしまう…。
用途を守って正しく使わないと、
現代社会では女子たちを傷つける兵器と化してしまうおそろしいブツ、
それが写ルンですだったのだ。
仕事観を根底から考え直さなければいけない
「仕事は元来、つらいもの」という仕事観を持っていた。
でもそこからしか得られるものはないとも思っていた。
だからきつければきついほど、心配ごとが多ければ多いほど
成長できるのではないかと自分に言い聞かせていたが、
それと当時に、そのしんどさから逃げたくてつい楽な道を選びそうになったり、
また実際に選んでしまうことも少なからずある。
そう、できれば昼寝して一日が終わればそれにこしたことはないと
どこかで思っている。
矛盾だ。成長したいのかしたくないのかわからない。
時間は有限であることは心のどこかでわかっていても、
惰性で過ぎていく毎日に「しっかりとした決断」を取れていない。
人生は決断の連続。
昼寝をして、ネットサーフィンをして過ごすと決めたのも自分。
忙しさの中に身を投げ、忙しいことだけに満足し、ろくに考えもせずに
時間が進むことを選択したのも自分。
だからこそ、決断に責任を持とうと決めた。
つらい仕事を「楽しい」に変えるために。
「忙しい」ことで自分を陶酔させるのではなく、
「その忙しさからどういうことを得る」と必ず目標をたてよう。
まずはそこからだ。やっぱりもっともっと成長したいし、
成長スピードも上げていきたいから。
惰性でやっていたら錆びるだけだ。使い物にならなくなって終わりだ。